とあるプロジェクトを内省して思うこと
後輩(と言っても年次は一つ下なので同年代であるが)の仕事を見てて思う。
一生懸命だなぁと。
先輩と必死にコミュニケーションを取り、些細な仕事でも引き受け、こまめな報連相を怠らない。
いざ自分を振り返ると恥ずかしくなる。その後輩のように必死にできていたか。
上司に負けていないと思うことは良いことかもしれないが、盲目的に学ぶ姿勢を持たずに仕事をしていたのではないか。
それどころか外部環境に言い訳を作り逃げ口上を作っていたのではないか。
自分が提案したと思っていたことは本当にプロジェクトの成果に対して価値があったのか。
なぜその先輩に受け入れられなかったを真剣に考えたか。
あと半年だからいいや。こちらから心を閉ざしてしまったのではないか・・・
内省するとキリがない。
サラリーマンを続ける限り多くの場合、自分で仕事を選ぶことはできないし上司も同様に選べない。
今度また同じ局面に来た時にどうするか。
結局は「仕事に愛着を持つ」か「上司に愛着を持つ」どちらかでしかないんだろうな。
両方が欠けている中で半年以上仕事を続けることは本当にタフだと思う。
では愛着を持つとはどういうことか。
仕事に愛着と持つとはどのような状態か。
抽象的な表現となるが、仕事の目的に対して意義深さを感じている状態だと思う。プロジェクトが終了した時に完成する世界観。そこに共感できる場合、その仕事が好きになり一生懸命に取り組めるんだと思う。
上司に愛着を持つとはどのような状態か。
こちらも抽象的であるが、その上司が困っている時に助けてあげたいと思える状態。
要は上司を尊敬しているかということ。
どちらの場合も外部環境となるので、そのままで愛着を持てれば良い。幸せなことだ。
問題は、目的に共感できない場合、尊敬できない場合にどうするのか。自分の心に嘘をつくわけにもいかないので難しい。
心に嘘をつかないで愛着を持つにはどうするか。
きっとより小さな世界の中で愛着を見つけていくしかないのかなと思う。
おしまい